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鶴見川の歴史と舟運

鶴見川の舟運(再現)

鶴見川の舟運(再現)
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鶴見川の歴史と舟運を伝えるサイトです
このサイトは、横浜市港北区で2007(平成17)年から活動する「鶴見川舟運復活プロジェクト」が刊行した冊子から鶴見川の歴史や舟運(しゅううん)に関するトピックスを紹介しています


農作物の肥料だった「下肥」と運搬舟はなぜ消えたのか~港北区の事情
下肥(しもごえ)とは、人間の糞尿を発酵させて作った肥料のことです。下肥が、農作物の肥料として役立つことがわかったのは、戦国時代といわれています。 そして、江戸時代初期に刊行された日本初の農書『清良記』に人糞、鳥糞などが肥料として紹介されています。...
Tsurumigawa
2022年5月27日
閲覧数:162回


鶴見川流域に残っている「昔の舟」、綱島の池谷家と飯田家、樽町の横溝家
(1)池谷(いけのや)光朗家の御用船(港北区綱島東) 江戸時代の南綱島村名主で、屋号を「河岸(かし)」という池谷光朗家には、御用船(全長5300㎜、幅1070㎜、深さ370㎜)と呼ばれる舟があります。御用船は、年貢米を運んだといわれています。...
Tsurumigawa
2022年5月27日
閲覧数:126回


これだけあった鶴見川の「河岸」、江戸期から小机、太尾、綱島などで船が発着
港北区内の鶴見川舟運と河岸 1. 鶴見川舟運 鶴見川には、古くは杉山神社を創建したといわれている氏族が、房総半島から東京湾を経て鶴見川を溯って来たといわれています。 また、新羽の西方寺も、室町時代に舟で鎌倉の極楽寺から相模湾、東京湾を経て鶴見川を溯って新羽に移転して来たとい...
Tsurumigawa
2022年5月27日
閲覧数:189回


なぜ鶴見川に「舟運」の復活を目指したか(鶴見川舟運復活プロジェクト会長・長谷川武明)
はじめに 新羽の古刹(こさつ)西方寺(さいほうじ)伊藤増見師のところに国土交通省関東整備局の幹部の方が今年(2007年=平成19年)の3月に見えて、鶴見川河川敷内にある西方寺の土地売却の話があった。 席上、住職が「川舟を鶴見川に浮かべたい」という男のいる話をした由、小生に告...
Tsurumigawa
2022年5月27日
閲覧数:44回


舟運関連の地場産業・文化の復活に向けた活動、御用船と水害予備船も調査
2009(平成21)年現在、鶴見川舟運復活プロジェクトでは、舟運と関連した地場産業や文化の復活に向けた活動を行っています。 そうめんの原料となった麦の栽培、茎の長い稲の栽培、ビール瓶(びん)の緩衝材(かんしょうざい)「ツトッコ」作りや藁細工(わらざいく)、舟運関連史跡の見学...
Tsurumigawa
2022年5月25日
閲覧数:49回


新横浜公園の遊水池で2008年に進水式を行った「舟運丸」
鶴見川舟運復活プロジェクトでは、CMC船舶設計事務所の佐々木様のご指導を受けて、ボートを作っています。 フィンランド製の合板を切り、エポキシ系接着剤で組み立てます。 2007(平成19)年9月に造り始めたボートは、「舟運丸(しゅううんまる)」と名付けられ、2008(平成20...
Tsurumigawa
2022年5月25日
閲覧数:22回


太尾橋と太尾河岸、上げ潮を利用して船で荷物を運ぶ
鶴見川の水は、新羽の辺りまで潮が上っています。その上げ潮を利用して、船で荷物を運んでいました。 船を着岸(ちゃくがん)する場所を「河岸(かし)」といいます。綱島や太尾(ふとお=現在の大倉山)には河岸が作られ、周囲には商店も並んでいました。...
Tsurumigawa
2022年5月25日
閲覧数:58回


港北区域から舟運で江戸へ運ばれた「寒そうめん」
港北区域でも特に新田(にった)地区(現在の新羽・新吉田・高田)は、江戸時代から特産品としてそうめん造りが有名でした。冬場の農閑期(のうかんき=農作業が忙しくない時期)の副業です。 作業は、厳寒(げんかん)の深夜1時頃から起き出して、夕方5時頃までかかる重労働でした。2日がか...
Tsurumigawa
2022年5月25日
閲覧数:82回


鶴見川の舟運で運ばれた「ツトッコ」とは一体何か
舟運では、いろいろなものが運ばれましたが、そのなかに「ツトッコ」というものがあります。 麦わらから出来ていて、中流域から大量に出荷されていました。 今から150年前、横浜が開港されて西洋の文化がたくさん入ってきました。ビール造りもその1つです。...
Tsurumigawa
2022年5月25日
閲覧数:45回


自然環境を利用した「舟運(しゅううん)」とは
舟運とは「しゅううん」と読み、川を交通路にして舟で荷物や人を運ぶことをいいます。 大昔の縄文時代は現在よりも海水面が高く、鶴見川中流域は入り江となっていたそうです。 鶴見川では、潮の満ち干きが新羽あたりまであるので、このあたりまで舟が河口からあがってきていました。自然環境に...
Tsurumigawa
2022年5月25日
閲覧数:62回
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