舟運とは「しゅううん」と読み、川を交通路にして舟で荷物や人を運ぶことをいいます。
大昔の縄文時代は現在よりも海水面が高く、鶴見川中流域は入り江となっていたそうです。
鶴見川では、潮の満ち干きが新羽あたりまであるので、このあたりまで舟が河口からあがってきていました。自然環境にあわせていろいろな生き物がいて、人々もこれを利用して生活していました。
鶴見川は多くの恵みをもたらしましたが、その一方で水害の多い川でもありました。
川の近くに住む人々は、水害に備えて舟を用意していました。「水害予備船」は、水害時の避難や連絡専用の船で、普段は家の軒下に置いてありました。
「田舟」は普段は水田の耕作に使っていましたが、水害の避難にも使われました。
(2008年6月発行「鶴見川舟運復活プロジェクトの活動記録」より)