鶴見川の水は、新羽の辺りまで潮が上っています。その上げ潮を利用して、船で荷物を運んでいました。
船を着岸(ちゃくがん)する場所を「河岸(かし)」といいます。綱島や太尾(ふとお=現在の大倉山)には河岸が作られ、周囲には商店も並んでいました。
新羽橋が作られる以前、少し下流側に太尾橋がありました。その橋の側に河岸がありました。
近くには、「店」「下の店」「かじや」「さかや」などの屋号を持つ家がありました。
昔の鶴見川は、ヘビのように曲がりくねって流れていました。
そのため、水の流れが悪く、大雨が降るとよく洪水を起こしました。
1947(昭和22)年から1952(昭和27)年まで、新羽と太尾の間の流れをまっすぐにする工事をしました。
それに合わせて、新しい道と新羽橋も作られました。
(2008年6月発行「鶴見川舟運復活プロジェクトの活動記録」より)