港北区域でも特に新田(にった)地区(現在の新羽・新吉田・高田)は、江戸時代から特産品としてそうめん造りが有名でした。冬場の農閑期(のうかんき=農作業が忙しくない時期)の副業です。
作業は、厳寒(げんかん)の深夜1時頃から起き出して、夕方5時頃までかかる重労働でした。2日がかりで造り、その後、蔵の中に入れて熟成(じゅくせい)させました。
蔵の中で熟成されたそうめんは、田植えの終わった6月下旬に蔵から出され、太尾河岸(ふとおかし=大倉山にあった船が着く場所)まで手車で運び、そこから舟に乗せて鶴見川を下り、江戸へ運ばれました。
幕府御家人(ばくふごけにん)や商家のお中元(ちゅうげん)の贈答品として珍重(ちんちょう=めずらしいものとして大事にされた)された寒そうめんは、明治以降も主に東京方面で販売されていました。
しかし、昭和初年に生産は中止されました。
(2008年6月発行「鶴見川舟運復活プロジェクトの活動記録」より)
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