Tsurumigawa2022年5月27日農作物の肥料だった「下肥」と運搬舟はなぜ消えたのか~港北区の事情下肥(しもごえ)とは、人間の糞尿を発酵させて作った肥料のことです。下肥が、農作物の肥料として役立つことがわかったのは、戦国時代といわれています。 そして、江戸時代初期に刊行された日本初の農書『清良記』に人糞、鳥糞などが肥料として紹介されています。...
Tsurumigawa2022年5月27日鶴見川流域に残っている「昔の舟」、綱島の池谷家と飯田家、樽町の横溝家(1)池谷(いけのや)光朗家の御用船(港北区綱島東) 江戸時代の南綱島村名主で、屋号を「河岸(かし)」という池谷光朗家には、御用船(全長5300㎜、幅1070㎜、深さ370㎜)と呼ばれる舟があります。御用船は、年貢米を運んだといわれています。...
Tsurumigawa2022年5月27日これだけあった鶴見川の「河岸」、江戸期から小机、太尾、綱島などで船が発着港北区内の鶴見川舟運と河岸 1. 鶴見川舟運 鶴見川には、古くは杉山神社を創建したといわれている氏族が、房総半島から東京湾を経て鶴見川を溯って来たといわれています。 また、新羽の西方寺も、室町時代に舟で鎌倉の極楽寺から相模湾、東京湾を経て鶴見川を溯って新羽に移転して来たとい...
Tsurumigawa2022年5月25日港北区域から舟運で江戸へ運ばれた「寒そうめん」港北区域でも特に新田(にった)地区(現在の新羽・新吉田・高田)は、江戸時代から特産品としてそうめん造りが有名でした。冬場の農閑期(のうかんき=農作業が忙しくない時期)の副業です。 作業は、厳寒(げんかん)の深夜1時頃から起き出して、夕方5時頃までかかる重労働でした。2日がか...